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<title>TO-cafe on-line</title>
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<description>1997年前後のAIESEC（国際経済商学学生協会）TOLCメンバーを中心としたブログ</description>
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<title>漫画の少女に萌える　[☆]</title>
<description> 　　本屋で見かけた漫画の表紙の少女が気に入って、例によって漫画喫茶に行ってその漫画を手に取った。マガジンに連載されている『エア・ギア』である。ちょっと難しいストーリーなのだがストーリーはどうでもよく、少女が登場するシーンばかり追い、彼女らが皆、色っぽいのにぼくは感心した。別の、より分かりやすい表現を使えばこういうことである。「俺、『エア・ギア』のシムカに萌えたぜ！」　　しかし、登場する女性に一切萌
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<![CDATA[ 　　本屋で見かけた漫画の表紙の少女が気に入って、例によって漫画喫茶に行ってその漫画を手に取った。マガジンに連載されている『エア・ギア』である。ちょっと難しいストーリーなのだがストーリーはどうでもよく、少女が登場するシーンばかり追い、彼女らが皆、色っぽいのにぼくは感心した。別の、より分かりやすい表現を使えばこういうことである。「俺、『エア・ギア』のシムカに萌えたぜ！」<br />　　しかし、登場する女性に一切萌えることができない漫画も多い。一例を挙げれば『ゴルゴ13』である。（これは何もぼくに限った話ではなく、一般論として、ゴルゴに登場する女性に萌えることができる男性は少ないに違いない。）　ゴルゴとエア・ギアで何が違うのか不思議に思ったぼくは、ゴルゴを20冊くらい積み上げて、女性が登場するシーンばかり追った。途中でふと我に返って「･･････俺、何やってんだろ」と若干思わないでもなかったが。<br />　　ゴルゴの女性の問題点を挙げろと言われれば、誰もが「女性なのに角張っている」「ごつごつしている」と述べると思う。しかし、今回ゴルゴの女性を精査してみて分かったのだが、ゴルゴにおいても、それら女性は滑らかな曲線で描かれているのである。しょっちゅう裸になる（ただし、「出てくる女性が例外なく裸になる」ように思っていたのだが、それはぼくの言い過ぎであった）彼女らは、ちゃんと腰もくびれているしスタイルだって悪くない。例はこれである。<a href="http://www.bigcomics.shogakukan.co.jp/golgogaku/gif/5.jpg" target="_blank" title="http://www.bigcomics.shogakukan.co.jp/golgogaku/gif/5.jpg">http://www.bigcomics.shogakukan.co.jp/golgogaku/gif/5.jpg</a><br />　　しかしながら、滑らかな曲線で描かれているにもかかわらず、やはり我々は「角張っている」「固そう」という印象を受けるのである。これは不思議なことである。<br />　　一方、『エア・ギア』の女の子たちは、（たまに脱ぐシーンもあるにはあるが）普通に服を着ていても、ゴルゴの裸の女性たちよりはるかに色っぽい。非常に想像力が刺激される。（ここでエア・ギアの少女の絵の例をゴルゴと同じく掲げようと思ったのだが、資本主義が正しく機能しており、かつオタク文化が成熟した日本という国を甘く見ていた。日本でそんなにも色っぽい少女を描くとどうなるか、予想すべきだった。皆さんもGoogle Imageで「渡り鳥のシムカ」で検索してみれば、ぼくの言う意味が分かると思います。）<br />　　『エア・ギア』の少女たちの色っぽさをぼくなりに分析してみれば、顔が可愛らしいこと以外に、「たぐいまれなスタイル」という点は指摘できそうである。現実に存在しうるような（つまりB120、W39、H87というようなのでない）スタイルだが、彼女らほどスタイルがいい女性は現実には１万人に１人くらいだろう。しかし、彼女らの色っぽさはどうもそれだけでは説明がつかないように思う。だが、何が他の要素になっているか、はっきりと指摘できない。<br />　　以前に「漫画、その芸術性」の項で少し触れたが、結論としては、要するに『エア・ギア』の作者大暮維人は少女の絵が上手く、『ゴルゴ13』の作者さいとう・たかをは下手だ、ということに尽きるのだと思う。「萌える」ことが出来る少女の絵は、たぶんよほど才能に恵まれなければ描けないのだろう。しかし、それらの絵を見ればどちらが萌えるかは分かるのだが、『エア・ギア』と『ゴルゴ13』で具体的に何が違うのか、「萌える」女の子の絵と「萌えない」絵でどこに差があるのか、ぼくは具体的に言葉にすることができない。不思議なことである。<br /> ]]>
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<dc:subject>☆―その他、随想めいたもの</dc:subject>
<dc:date>2009-01-20T22:00:02+09:00</dc:date>
<dc:creator>ライター紹介</dc:creator>
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<title>知る権利、あるいは、もう少し頭を使ったらどうだ　[☆]</title>
<description> 　　昨年９月12日に、「マスコミは愚劣な記事を書くな」というタイトルでブログを書いた。要するに、「いい人だと描きさえすれば、被害者について何を書いてもいいと思うな。」「はっきり不適切な、お涙頂戴の記事を書くな。」という趣旨である。　　その時ぼくは知らなかったのだが、そのような記事は珍しくない、というより、殺人事件があるたびに必ずと言ってよいほどそのような記事が出るのだった。一例がこれである。http://m
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<![CDATA[ 　　昨年９月12日に、「マスコミは愚劣な記事を書くな」というタイトルでブログを書いた。要するに、「いい人だと描きさえすれば、被害者について何を書いてもいいと思うな。」「はっきり不適切な、お涙頂戴の記事を書くな。」という趣旨である。<br />　　その時ぼくは知らなかったのだが、そのような記事は珍しくない、というより、殺人事件があるたびに必ずと言ってよいほどそのような記事が出るのだった。一例がこれである。<br />http://mainichi.jp/select/jiken/news/m20081102k0000m040079000c.html<br />　　記事が不適切であることは昨年９月12日に書いたとおりである。ここでは「知る権利」という別の観点から述べたい。<br />　　殺害されたのがどんな人だったのか、知りたいという気持ちは分かる。おそらくそれは誰もが抱くものだろうし、マスコミがそれに応えたということだろう。しかし、残念ながらそれは「応じてはいけない」欲求である。<br />　　世の中には、知らなければならない / マスコミが報じなければならないことと、知る必要のない / マスコミが「報じてはいけない」ことがある。隣の奥さんが殺人犯人であるかどうかは知る必要がある。自分の身を守るために必要だからだ。マスコミは正確に報じてくれればいい。だが、隣の奥さんが不倫をしているかどうかは、（自分の夫や彼氏と不倫をしている場合を除き）いかに知りたいと思っても、知る必要のない / とりわけマスコミが報じてはいけないことである。それらの事実が興味本位で暴かれないということが、プライバシーという概念が意味することだ。<br />　　こう言うと「国民には知る権利がある。」などとほざき始める馬鹿なマスコミの連中が後を絶たないのだが、知る権利は政府 / 政治に対して向けられるものであって、それに関しない限り個人のプライバシーに属することが知る権利の対象になることはない。憲法学の「いろは」であって、愚劣なことを抜かす前に少しだけでいいから勉強するがいい。<br /><br />　　ぼく自身は、自分が殺害されたとして、マスコミが自分のことを「こんなにいい人でした。こんなに一生懸命生きていました。だから犯人が許せません。」などと勝手放題書くことを想像すると心の底から虫酸が走るのだが、皆は書いてもらって嬉しいのだろうか。自分自身への取材なしに書かれるもので正確さが少しも保障できない記事だが、それでも書かれて平気なのだろうか。「死人に口なし」とは、まさにこのような状況のためにある言葉である。被害者がすでに亡くなっているから、マスコミが自由に報じているとしか思えない。<br />　　マスコミには、少し立ち止まって考えてから、報道してもらいたい（というより、報道しないでもらいたい）ものだ。もっとも、「被害者がどんな人だったか知りたい。」と思う人の数が「報じてはならない。」と思う人の数を上回る限り、このような記事はなくならないだろう。なぜならこれは倫理に属することであり、マスコミに少しでも倫理を求めるのはまったくお門違いだからである。<br /><br /><br />次回の予告　　未定　（ま、気が向けばファミ通をね……。） ]]>
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<dc:subject>☆―その他、随想めいたもの</dc:subject>
<dc:date>2008-11-03T02:12:51+09:00</dc:date>
<dc:creator>ライター紹介</dc:creator>
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<title>映画がつまらない　③　[☆]</title>
<description> 　　さて、①で書いたとおり映画がつまらない、俺でももっとましなのが書ける / 撮れると思うというのは一体なぜなのか、以下に考えられる理由を挙げる。１．「俺にもできる」というが、実際にやってみると決してできない。　　これは多分そうなのだろう。「言うは易し」とはまさにこんな場面のための言葉である。　　しかしながら、俺にできるできないはさておき、この答えは「どうして映画がつまらないのか」の理由になっていない
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<![CDATA[ 　　さて、①で書いたとおり映画がつまらない、俺でももっとましなのが書ける / 撮れると思うというのは一体なぜなのか、以下に考えられる理由を挙げる。<br /><br />１．「俺にもできる」というが、実際にやってみると決してできない。<br />　　これは多分そうなのだろう。「言うは易し」とはまさにこんな場面のための言葉である。<br />　　しかしながら、俺にできるできないはさておき、この答えは「どうして映画がつまらないのか」の理由になっていない。俺にできなくたって、5,000倍とか10,000倍とかの倍率で選ばれた人たちには面白い脚本を書く / 映画を撮ることができたっていいではないか。というか、「面白い映画を書ける / 撮れる」人だけが脚本家・映画監督として残っているのではないのか。<br />　　そこで次の理由。<br /><br />２．人々は、ぼくの求めるリアリティを求めていない。つまり、つまらなく感じるのはぼくだけ。<br />　　これもありそうなことである。「爽快感」「おとぎ話の世界で遊ぶこと」「感動して泣くこと」など映画に何を求めるかはひと様々であり、そこに「リアリティ」を挙げるのは少数派なのかも知れない。<br />　　もっとも、ぼくにとってはリアリティがなければ爽快感や他のすべてがないんですけどね・・・。あとやはり、5,000倍とか10,000倍とかの割合で選ばれた人たちが、どうしてリアリティがあってかつ爽快感その他があるものを生み出せないのか、不思議である。いくらなんでも「リアリティはない方がよい」なんてことはないだろう。<br /><br />３．妙な力学が働く。<br />　　ぼく自身は今、これが答えなんじゃないかと思っている。つまり、映画は商業的に成功しないといけないという制約がかかっており、脚本家 / 映画監督は完全に自由ではなく、「商業的観点から」作品を歪ませリアリティを奪う修正が多々入るのではないだろうか。もし彼らが商業的成功を気にしなければ、ぼくを楽しませるリアリティのある映画がいつでも好きなだけ撮れるのだ。別の言い方をすればこういうことだ。彼ら以外が撮れば、リアリティもなければ爽快感もなく、泣くこともできない、要するに「観客の誰にとってもつまらない」映画になるべきところ、5,000倍・10,000倍以上の倍率で選ばれた彼らはその制約の中で非常にいい仕事をしており、結果として全員ではないにせよ何割かの人々を喜ばせることができているのだ。<br />　　もっとも、どうして商業的成功とリアリティが矛盾するのか、ぼくにはさっぱり分かりませんけどね・・・。<br /><br />　　長くなってしまったが、要するに何を言いたいかというと、こういうことである。<br />「面白い映画が観たいです。」<br /><br /><br />次回の予告　　（聞き飽きたでしょうが）「『ファミ通を購入しています。』」 ]]>
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<dc:subject>☆―その他、随想めいたもの</dc:subject>
<dc:date>2008-07-27T02:55:55+09:00</dc:date>
<dc:creator>ライター紹介</dc:creator>
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<title>映画がつまらない　②　[☆]</title>
<description> （注・以下ネタばれだらけ。嫌な人は直接③に移ってください。）　　「HERO」は、木村拓哉扮する異色の検事・久利生公平が、政治的な動きに惑わされることなく自分の担当する事件に全力投球でぶつかり、犯人に正義の裁きを受けさせる人間ドラマであり、６年前にいわゆる月９で平均視聴率30%越えという空前絶後の記録を出した伝説のテレビドラマが映画化されたものである。今回の映画では、傷害致死事件の被告人のアリバイを大物の衆
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<![CDATA[ （注・以下ネタばれだらけ。嫌な人は直接③に移ってください。）<br /><br />　　「HERO」は、木村拓哉扮する異色の検事・久利生公平が、政治的な動きに惑わされることなく自分の担当する事件に全力投球でぶつかり、犯人に正義の裁きを受けさせる人間ドラマであり、６年前にいわゆる月９で平均視聴率30%越えという空前絶後の記録を出した伝説のテレビドラマが映画化されたものである。今回の映画では、傷害致死事件の被告人のアリバイを大物の衆議院議員が証言する（というかむしろ、その議員の収賄のアリバイをこの被告人が証言する、つまりお互いにアリバイを証言しあうことになる）が、そのアリバイを崩し、被告人が現場にいたことを久利生が証明するのが核心となっている。被告人が現場から車で逃走したとの目撃証言を踏まえ、その車がくず鉄屋（？）でスクラップにされたという情報を得た久利生と、同じ検察庁支部の仲間の検事たち（検事３人と検察事務官３人）は、「スクラップにされても証拠の傷は残っているかも知れない」と、くず鉄の山に登って一生懸命自動車（だったもの）を探す。直後、車はそこでスクラップにされておらず実は韓国に輸出されたと知った久利生は、松たか子扮する検察事務官・雨宮とともに韓国に出張し、人口900万を優に超えるソウルでそこらの人々に「この車見ませんでしたか？」と聞き込みを行い、一週間後くらいに車を発見する。ところが、裁判でそれを意気揚々と示したところ、弁護士から「その傷が現場でついたという証明になっていない」という異議が出される。その後、被告人が事件の直後に火事の現場を通ったらしいと確信した検事たち（さっきの検事３人と事務官３人）は、やじ馬たちが携帯で撮った写真に被告人が写っているかも知れないと考え、警察が撮影した火事現場の写真に写っているやじ馬たち835人全員に道路で聞き込みを行って携帯電話を見せてもらい、ついに被告人が写った写真を発見してその携帯を裁判に持ち込む。それが決定的な証拠となり、被告人には有罪判決が出される。めでたしめでたし。<br />　　こんな映画を観たら、「検察はどこまで暇なんだ」「どんだけ行き当たりばったりなんだよ」という感想を持つしかない。担当検事以外の検事と検察事務官が久利生を手伝っているのは、言うまでもないが、彼らが他に１件も事件を抱えていないからだという以外に考えようがない。検察には結構いい給料を払っているのだから、こんな地検支部は今すぐ統廃合しないと税金の無駄の極みである。韓国に証拠の車が輸出されたと知って、韓国に飛んでソウル市民に聞き込みをして車を発見しようとするのは、ちょっとやそっとでは思いつかない、普通の人間では頭をよぎりもしない斬新な発想である。どれだけ時間がかかるか分かったものではないではないか。いくら現在担当している事件が支部全体で１件とはいえ、「迅速な裁判」を行う気が微塵もない検事たちである。上記の弁護士の異議が出た時には笑いましたね。そこを確認してなかったんかい！　加えて、たった６人による道路での聞き込みでやじ馬835人全員と接触できたというのは、どれほど運がよかったのか、ちょっと想像ができない。なんで彼らが聞き込みしてる朝に、835人は全員がもれなくその道を通ったのでしょうね。だいいち、デジタル画像は修正が容易だから、裁判で証拠として採用されないことになっていると思うのですが・・・。<br />　　要するに初めから最後までとんだお笑い草なのである。リアリティがないため、馬鹿馬鹿しくて「あ、そう。」と言うしかない。検察官なんだから、みんなもうちょっと考えて行動した方がいいんじゃないでしょうか。<br />　　次の映画は、はるかにマイナーだが「この胸いっぱいの愛を」(2005年)である。伊藤英明扮する主人公ヒロが子供時代に舞い戻り（同時に子供のヒロも存在する）、子供の頃に憧れていたが若くして亡くなったバイオリニスト和美ねえちゃん（ミムラ）に手術を受けさせるべく奮闘する物語である。あと３人、過去（同じ80年代の北九州）に戻った人たちがおり、映画の途中で彼らとヒロの４人は飛行機事故ですでに死んでおり、気がかりなことがあって過去に戻ってきたのだと明らかになる。その気がかりなこととは、ヒロにとっては和美ねえちゃんだが、３人のうちおばあさんにとっては自分の盲導犬、チンピラにとっては自分を産んだ後に亡くなった母親、最後の気の弱そうな青年にとっては、自分が壊しまくった、色とりどりの花の咲くたくさんの鉢植えを持っていた隣人である。この３人についてはこれで言い尽くされた。さて和美ねえちゃんであるが、音楽大学を主席で卒業したものの、病気がだんだん重くなって少しずつバイオリンが弾けなくなってきている。手術が成功しても障害が残ってバイオリンが弾けなくなる可能性が高いので、生きる希望を失って手術を受けることを拒否しているのである。ヒロが説得するもらちがあかない。そこでヒロはクラシックコンサートに彼女を誘う。コンサート最中、指揮者は突然マイクを持って言う。「今日は、まだ無名ながら素晴らしいバイオリニストに来ていただいております。＊＊和美さんです。」　スポットライトで和美が照らされ、仕方なく和美は舞台に上がり、渡されたバイオリンで難しそうな曲を即興で弾く。舞台を降りて和美は「もっと上手くなりたい・・・。」と涙ながらに初めてヒロに打ち明ける。手術を受け、障害が残ったものの彼女は生き延び、ヒロは後に飛行機事故で結局亡くなる。<br />　　同じく時間を越えた他の３人はストーリーを混乱させるだけでまったく出て来ない方がよいのだが、ヒロと和美だけに限っても、コンサートのシーンが（クライマックスであるにもかかわらず）よく分からない。和美ねえちゃんは病気でバイオリンが弾けなくなっているというのに、スポットライトを当てて舞台に上がらせるというのは、これまで見たことが（というより想像したことが）ないほど悪質な嫌がらせである。なぜかたまたま完璧に弾きこなせたからよかったが、普通なら大観衆の前で無理やり赤っ恥をかかせるに過ぎない。ヒロはなんでここまで意地が悪いのだろう、どれほど深く深く和美ねえちゃんを憎んでいたのだろう、とそればかり気になるので、ぜんぜん感動できないのだ。<br />　　余談だが、この映画は公開当時に劇場で観た。同じタイミングで、前に軽く触れた「容疑者・室井慎次」も観た。これらの映画を観て映画館を出ながら、ぼくは連れの女性に感想を語ったものだ。「この胸～」の場合は、「ミムラが可愛かったね。」　「容疑者～」の場合は、「ポップコーンが美味しかったね。」　どちらもそれ以外にほめようがなかった。（もっとも後者は映画の感想ではないが。「容疑者～」はこれまでにぼくが観たすべての映画の中で最低、ワースト１である。）　しかしながら、「この胸～」のミムラの可愛らしさは、そのためだけに映画を観る価値があるほどであり、今回もぼくはわざわざDVDを借りてきたのだった。 ]]>
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<dc:subject>☆―その他、随想めいたもの</dc:subject>
<dc:date>2008-07-27T02:54:52+09:00</dc:date>
<dc:creator>ライター紹介</dc:creator>
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<title>映画がつまらない　①　[☆]</title>
<description> 　　観る映画観る映画ほとんどがつまらない。期待していたキムタクの「HERO」も、わざわざ借りてきたのだが馬鹿馬鹿しかった。L.A.からの帰りの飛行機で観た４本も、１つを除いてつまらなかった。その１つというのは「27 Dresses」だが、これがましだったのは単に奇跡の名作「How to Lose a Guy in 10 Days」（邦題「10日間で男を上手にフル方法」）の焼き直し、パクリだったからである。（ちなみに「How to～」は2003年の映画で、
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<![CDATA[ 　　観る映画観る映画ほとんどがつまらない。期待していたキムタクの「HERO」も、わざわざ借りてきたのだが馬鹿馬鹿しかった。L.A.からの帰りの飛行機で観た４本も、１つを除いてつまらなかった。その１つというのは「27 Dresses」だが、これがましだったのは単に奇跡の名作「How to Lose a Guy in 10 Days」（邦題「10日間で男を上手にフル方法」）の焼き直し、パクリだったからである。（ちなみに「How to～」は2003年の映画で、映像・ストーリー・人物（特に主演の２人ケイト・ハドソンとマシュー・マコノヒー）・音楽すべてが「たまたま見事にかみ合った」、まさに奇跡の名作と呼ぶにふさわし映画である。）<br />　　つまらない映画を観ると「俺でももう少しましなのが書ける / 撮れるんじゃないか。」と思うわけだがいずれにせよ、映画がつまらない、というのは解釈に苦しむ事態である。なぜなら第一に、脚本家 / 映画監督になりたい者のうちそれらになれる割合は、少なく見積もってもそれぞれ5,000分の１ / 10,000分の１だからだ。それほどまでに選ばれ抜いた人々が書き、そして撮る映画がつまらないというのはどういうことなのだろうか。そして第二に、つまらない映画の脚本を書いた脚本家 / つまらない映画を撮った映画監督は、ただちに餓死するはずだからだ。これについては、友人K氏の有名な発言を引用すれば十分だろう。「レストランで飯がまずいって、あり得ないよなー。画家が絵が下手だったら、そいつは死ぬだろ？」　（これは、大学の卒業旅行でヨーロッパをめぐった際、まずい食事に嫌気がさして間違いなく美味しいはずの中華料理屋に入ったところが、そこのめしが飛び抜けてまずく、我々に深刻なショックを与えたことに対する感情の吐露である。）<br />　　そこで以下、分析する。<br /><br />　　まず、映画がつまらないとはどういうことか。何が欠けているのか。<br />　　ぼくにとっては簡単で、「リアリティ」、そしてそこから生ずる「登場人物に対する感情移入の余地」である。ここでいうリアリティとは、「現実に起こり得る」ということではない。SFやファンタジーでもリアルであることができる。つまり、「その状況に置かれた時、人間は映画で描かれたような行動をとるか」というのが判断基準である。以下これについて、２つの邦画（「HERO」と「この胸いっぱいの愛を」）を例に挙げて論ずるが、ネタばれでありかつ長くなるので、面倒な方は読まずに③に移ってもらって構わない。 ]]>
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<dc:date>2008-07-27T02:54:02+09:00</dc:date>
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